2008年 06月 20日
他罰的
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大井玄氏の『「痴呆老人」は何を見ているか』という本の中に「他罰的」という言葉で近年の日本人の特徴が書かれているのが印象に残った。
この言葉が出てきたのは最近の医療事故或いは医療過誤に関する文章の中でだけれど。
医師はできるだけ(意味があるかないかに係わらず)患者の延命努力をしないと、患者が亡くなられてから、見舞いにも来なかった親戚が突然に現れて医療行為の中断を「殺人だ」などと主張して訴えられるという「遠くの親戚現象」が頻発するようになったことから、ひどく防衛的になっているという文章の中で、「近年、日本人の多くが、かつては想像できなかったほど他罰的になっており、メディア、警察、そして裁判所までが、システム破綻による医療事故を個人のミスによる医療過誤とみなす風潮にある」と述べている。
学校では、僕には信じられないことだけれど、「モンスター・ペアレント」という人達が存在するようだし、先日の秋葉原の事件では犯人とは全く無関係の人達までもが犯人によって「罰せられて」しまった訳で、この犯人も究極的な他罰的傾向の持ち主だったということだろう。
なぜこういう風潮になってきたのかについては色々な意見があるのだろうけれど、根本的にはやはり教育・徳育・道徳・宗教心というものが中心にあるのだろう。
この言葉が出てきたのは最近の医療事故或いは医療過誤に関する文章の中でだけれど。
医師はできるだけ(意味があるかないかに係わらず)患者の延命努力をしないと、患者が亡くなられてから、見舞いにも来なかった親戚が突然に現れて医療行為の中断を「殺人だ」などと主張して訴えられるという「遠くの親戚現象」が頻発するようになったことから、ひどく防衛的になっているという文章の中で、「近年、日本人の多くが、かつては想像できなかったほど他罰的になっており、メディア、警察、そして裁判所までが、システム破綻による医療事故を個人のミスによる医療過誤とみなす風潮にある」と述べている。
学校では、僕には信じられないことだけれど、「モンスター・ペアレント」という人達が存在するようだし、先日の秋葉原の事件では犯人とは全く無関係の人達までもが犯人によって「罰せられて」しまった訳で、この犯人も究極的な他罰的傾向の持ち主だったということだろう。
なぜこういう風潮になってきたのかについては色々な意見があるのだろうけれど、根本的にはやはり教育・徳育・道徳・宗教心というものが中心にあるのだろう。
by mtbiker
| 2008-06-20 22:17
| 文化
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