2005年 11月 12日
修身の教科書
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最近「修身の教科書」という本を読んだ。
新聞のコラムで目にして購入したが、歴史上名のある人、名もない人の様々な「お話」が書かれている。
どれも実話という設定だけれど、本当に実話かどうかは分からない。
でも、日本人の徳育という面ではどうしてこういう修身の時間というのをなくしてしまったのだろうかと思うような気になった。
様々な意味で立派な人物(歴史に名を残そうと残すまいと)の話を伝えるというのは大切なことなのではないかとつくづく思った。
そうすることによって民族の誇りとか潔さとかいうものが継承されるのではないだろうか。
今の時代色々と嫌な事柄が次々と起きるのもこうした徳育の教育がなくなってしまったからではないかという気になる。
この本の中で無名のある馬方の話がのっていた。
お客がお金を馬の鞍に忘れたのに気が付いた馬方がそのお金を元の持ち主に届けたところ、持ち主がとても感謝してお礼を渡そうとしたけれど馬方は決して受け取らなかったという話だ。
似たような話がイザベラ・バードの「日本奥地紀行」にも書かれていた。
明治の日本の奥地を旅したイザベラ・バードが、お礼をあげようとしても決して受け取らなかった馬方にひどく感激して、日本人は身なりはみすぼらしいけれど精神面ではすばらしい民族だという意味のことを書いていた。
それが100年たって退歩してしまったのではないだろうか。
これも戦後教育の欠陥の一つなのだろうか。
新聞のコラムで目にして購入したが、歴史上名のある人、名もない人の様々な「お話」が書かれている。
どれも実話という設定だけれど、本当に実話かどうかは分からない。
でも、日本人の徳育という面ではどうしてこういう修身の時間というのをなくしてしまったのだろうかと思うような気になった。
様々な意味で立派な人物(歴史に名を残そうと残すまいと)の話を伝えるというのは大切なことなのではないかとつくづく思った。
そうすることによって民族の誇りとか潔さとかいうものが継承されるのではないだろうか。
今の時代色々と嫌な事柄が次々と起きるのもこうした徳育の教育がなくなってしまったからではないかという気になる。
この本の中で無名のある馬方の話がのっていた。
お客がお金を馬の鞍に忘れたのに気が付いた馬方がそのお金を元の持ち主に届けたところ、持ち主がとても感謝してお礼を渡そうとしたけれど馬方は決して受け取らなかったという話だ。
似たような話がイザベラ・バードの「日本奥地紀行」にも書かれていた。
明治の日本の奥地を旅したイザベラ・バードが、お礼をあげようとしても決して受け取らなかった馬方にひどく感激して、日本人は身なりはみすぼらしいけれど精神面ではすばらしい民族だという意味のことを書いていた。
それが100年たって退歩してしまったのではないだろうか。
これも戦後教育の欠陥の一つなのだろうか。
by mtbiker
| 2005-11-12 19:45
| 経済・財政
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